2009年1月20日火曜日
縁を生かす
金沢の親しい先生から大変感銘を受ける図書の紹介がありました。内容は以下のとおりです。
その先生が五年生の担任になった時、一人服装が不潔でだらしなく、どうしても好きになれない少年がいた。中間記録に先生は少年のわるいところばかりを記入するようになっていた。 あるとき、少年の一年生からの記録が目に留まった。「朗らかで友達が好きで、人にも親切。勉強もよくでき、将来が楽しみ」とある。間違いだ、他の子の記録に違いない。先生はそう思った。
二年生になると「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」。
三年生では「母親の病気が悪くなり、疲れて授業中居眠りをする」。
三年生の後半には「母親が死亡。希望を失い悲しんでいる」とあり、
四年生になると「父親は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子供に暴力をふるう」。
先生の胸に激しい痛みが走った。だめと決め付けた子が突然、深い悲しみを生き抜いている生身の人間として自分の前に立ち現れてきたのだ。先生にとって目を開かれた瞬間であった。
放課後、先生は少年に声をかけた。「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?分からないところは教えてあげるから」。少年は初めて笑顔を見せた。
それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。授業で少年が初めて手を上げたとき、先生に大きな喜びがわきおこった。少年は自信を持ち始めていた。
クリスマスの午後だった。少年が小さな包みを先生の胸に押し付けてきた。あとで開いて見ると、香水の瓶だった。亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。 雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、気が付くと飛んできて先生の胸に顔を埋めて叫んだ。「ああ、お母さんの匂い!今日は素敵なクリスマスだ」。
六年生では先生は少年の担任ではなくなった。卒業のとき、先生に一枚のカードが届いた。「先生は僕のお母さんのようです。そして今まで出会った中で一番素晴らしい先生でした」。
それから六年。またカードが届く。「明日は高校の卒業式です。僕は先生に担当してもらって、とても幸せでした。おかげで奨学金をもらって医学部に進学することができます」。
十年を経て、またカードがきた。そこには先生と出会えた感謝と、父親に叩かれた経験があるから患者の痛みが分かる医者になれると記され、こうしめくくられていた。
「僕はよく五年生の時の先生を思い出します。あのまま、だめになってしまう僕を救ってくださった先生を、神様のように感じます。大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、五年生のときに担任してくださった先生です。
そして一年。届いたカードは結婚式の招待状だった。「母の席に座ってください」と一行、書き添えられていた。
--------(中略)------------
たった一年間の担任の先生との縁。その縁に少年は無限の光を見出し、それを拠所として、それからの人生を生きた。ここにこの少年の素晴らしさがある。
人は誰でも無数の縁の中に生きている。無数の縁に育まれ、人はその人生を開花させていく。大事なのは、与えられた縁をどう生かすかである。
「小さな人生論3」藤尾秀昭著 致知出版社 より抜粋
少年の側から見た縁を生かす、縁を大切にすることの大切を教えてくれる本です。
昔読んだ「星の王子さま」で、きつねが王子に「心でなければものは見えないってことさ。かんじんなことは目では見えない」という言葉を思い出した。
ずっと縁を生かす側の立場にいて、いろんな方にお世話になりっぱなしの人生ですが、そろそろ縁を
生かして頂けるような人になりたいものです。心でものをみてかんじんなことが見える。そのな人になれたら、いろんな人達に縁を与えられるようになるのでしょうか。まだまだ精進が足りませんね。
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